2015年 09月 13日
《天ちゃん》と呼ぶ天然記念物のシマフクロウを無断でリハビリ
『そういえば、食欲の秋という季節用語がある。--- 中略 --- でもわたしには、単純に食欲が増すという説明がいちばんすわりがいいと感じられる。あれは冬眠のためだ、といつも思っているからである。--- 中略 --- 冬眠はしませんと学会ではお墨付きの患者ですら平気で二割がたボリュームアップの体型となり、計測すると、もっとすごいのがゴロゴロと登場する。』
『自分が傷つきながら保護した人のたっての頼みに負けて、わたしたちが《天ちゃん》と呼ぶ天然記念物のシマフクロウを無断でリハビリした(これはりっぱな違法行為となる)ことがあるが、彼らもまた、秋は体重を30%以上ふやす。』
『おかげでわたしは貧乏になった。云っては悪いが、わが家は動物園でもないし、どこかの研究所という場所でもない。私設の緊急避難的診療所である。所長であるわたしの願いは、すぐに出ていってもらうこと。すなわち退院である。』
『でも、退院して次の日から食べてゆけないのでは、避難を受け入れた意味がない。だが、シマフクロウの入院費は、生きた魚なのだ。ピチピチとはねる魚がいかなる値段か、読者は知らないだろうが、とくに十二月になると、腰のぬける(これは貧乏なわたしゆえの表現)ほどのお金が必要である。』
『「なんともバカなことをやってますナー」と、わが家にやってきた人は言うが、自然の中には死んだ魚は泳いでいない。この《天ちゃん》は、死んだ魚は獲らないのである。ひたすら食べて体力回復してくれるよう願う。時には《天ちゃん》の食べ残しが、わが家の食卓を飾る。なんともまぬけな構図がここにある。』
『それでも、その《天ちゃん》にも、完治後引き取った研究者と名乗る人からも、感謝されないどころか非難される。----- 緊急避難的診療所とはこういうもの。
とにもかくにも、秋は冬のために食欲の旺盛な一時期を提供し、生物はそれに答える。ヒトという種が生物であり続ける以上、秋のあとにはやはり大小の冬眠的生き方が必須に思える。それに背を向けた現代人が自家中毒を起こしつつあると思うがどうだろう。昔というものがまだ記憶にある今が、最後のチャンスであるのかもしれない。』
【オホーツクの十二か月・森の獣医のナチュラリスト日記】竹田津 実 著より
画像はすべて鷲の宿にて(2015/06/22 撮影)
『自分が傷つきながら保護した人のたっての頼みに負けて、わたしたちが《天ちゃん》と呼ぶ天然記念物のシマフクロウを無断でリハビリした(これはりっぱな違法行為となる)ことがあるが、彼らもまた、秋は体重を30%以上ふやす。』
『おかげでわたしは貧乏になった。云っては悪いが、わが家は動物園でもないし、どこかの研究所という場所でもない。私設の緊急避難的診療所である。所長であるわたしの願いは、すぐに出ていってもらうこと。すなわち退院である。』
『でも、退院して次の日から食べてゆけないのでは、避難を受け入れた意味がない。だが、シマフクロウの入院費は、生きた魚なのだ。ピチピチとはねる魚がいかなる値段か、読者は知らないだろうが、とくに十二月になると、腰のぬける(これは貧乏なわたしゆえの表現)ほどのお金が必要である。』
『「なんともバカなことをやってますナー」と、わが家にやってきた人は言うが、自然の中には死んだ魚は泳いでいない。この《天ちゃん》は、死んだ魚は獲らないのである。ひたすら食べて体力回復してくれるよう願う。時には《天ちゃん》の食べ残しが、わが家の食卓を飾る。なんともまぬけな構図がここにある。』
『それでも、その《天ちゃん》にも、完治後引き取った研究者と名乗る人からも、感謝されないどころか非難される。----- 緊急避難的診療所とはこういうもの。
とにもかくにも、秋は冬のために食欲の旺盛な一時期を提供し、生物はそれに答える。ヒトという種が生物であり続ける以上、秋のあとにはやはり大小の冬眠的生き方が必須に思える。それに背を向けた現代人が自家中毒を起こしつつあると思うがどうだろう。昔というものがまだ記憶にある今が、最後のチャンスであるのかもしれない。』
【オホーツクの十二か月・森の獣医のナチュラリスト日記】竹田津 実 著より
画像はすべて鷲の宿にて(2015/06/22 撮影)
by gogo3jihh
| 2015-09-13 06:17
| シマフクロウ