2015年 03月 09日
【藪道を出て田の鶴と顔合はす】・・・寒た
【藪道を出て田の鶴と顔合はす】・・・寒た
亘理寒太(明治28年12月5日生)山口県・周南市(八代)
本名は正、八代の旧家に生まれ京都帝国大学を卒業、戦後ふるさとに帰り八代中の校長や教育長を歴任。鶴の保護活動にも多大の関心を持ち、広く村外の人々に鶴を知ってもらうことに努力した。内外の俳人や文化人を招いて交流を深めたり、『群鶴句会』を創設し村の青年たちに俳句を指導。
---ウェブ検索より
ツルの捕獲は幕府の命で江戸時代は禁じられていましたが、明治時代になり各地で乱獲が始まり、その数を急激に減らしました。その後、明治28年、狩猟法制定、ツルが国の保護鳥に指定されて以降、俳人・寒太の暮らした八代盆地や、鹿児島県・出水市干拓地などで積極的な保護活動がなされました。
その努力の甲斐あって、特に出水平野には、越冬のため日本に飛来するナベズル、マナズルのほとんどが集結、昨今その数をますます増やし(ナベヅル10000羽、マナズル3000羽)13000羽を超えると云われます。
ナベヅル、遠征先にて(2015/02/24 撮影)
亘理寒太(明治28年12月5日生)山口県・周南市(八代)
本名は正、八代の旧家に生まれ京都帝国大学を卒業、戦後ふるさとに帰り八代中の校長や教育長を歴任。鶴の保護活動にも多大の関心を持ち、広く村外の人々に鶴を知ってもらうことに努力した。内外の俳人や文化人を招いて交流を深めたり、『群鶴句会』を創設し村の青年たちに俳句を指導。
---ウェブ検索より
ツルの捕獲は幕府の命で江戸時代は禁じられていましたが、明治時代になり各地で乱獲が始まり、その数を急激に減らしました。その後、明治28年、狩猟法制定、ツルが国の保護鳥に指定されて以降、俳人・寒太の暮らした八代盆地や、鹿児島県・出水市干拓地などで積極的な保護活動がなされました。
その努力の甲斐あって、特に出水平野には、越冬のため日本に飛来するナベズル、マナズルのほとんどが集結、昨今その数をますます増やし(ナベヅル10000羽、マナズル3000羽)13000羽を超えると云われます。
ナベヅル、遠征先にて(2015/02/24 撮影)
by gogo3jihh
| 2015-03-09 06:28
| ナベヅル